日頃の善徳

状況が混沌とするほど

つくづく思わされるのは、

2月初旬に亡くなったばあちゃんのこと。

(ここに書けるくらい受け入れ始めた^^;)



最後の1週間は、

横で仕事しながら一緒にいられたし、

亡くなるの瞬間は、子供も孫もほとんどが

平日にも関わらず立ち会うことが出来た。



今はその施設にすら入る事は出来ない。

もし数週間ずれていたら顔も見る事が

出来なかっただろう。

(実際に同じ施設にいるじいちゃんには

 葬式の日以来会えていない)



そう考えたら、奇跡のような、

ばあちゃんが作ったシナリオのような

夜でした。



こんな最後の夜を迎えられたのは、


「世話好きな人」

「そういえば一緒にご飯食べること、

 ほとんどなかったよね。

 (みんなが食べ終わるまで世話して

  見届けてから1人で食べていた)」

「姉さんはいつも人優先の人だった」


などと、葬儀で親戚が話していたように、

『日頃の善徳』

だろうと教えられました。



とはいえ、そうと思えない、

時に悲劇に見える最後もありますが、

それでも、

遺された人たちがどう思うのか?

どんなメッセージをそれぞれが感じるか?

あなたの人生を周りがどう活かすか?

は、まさしく、

「生きた証」なのだろうと

思わされる。



未だ受け入れられない気持ちもありながら、

こんな時だからこそ、

ばあちゃんのメッセージが、

今を生きるエネルギーをくれる。



「日々善徳を積む」




今日も楽しい一日を✨



『楽観道』 楽しく観ると決める生き方 ~あなたが楽しく生きると社会が変わる~

~人との繋がりの中で自分を活かして『楽しく』生きる道を「万機公論」するmicchee☆彡のブログ~

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